戸谷尚弘シェフの経歴
20歳の時、都内のレストランでパティシエとしてスタートしてから系列店各店舗の人気デザートの開発を担当。その後単身フランスに渡り、『LA VIEILLE FRANCE ラ・ビエイユ・フランス』、老舗洋菓子店『Miremont ミルモン』で修業。 2015年に帰国し、白金高輪にフランスバスクの伝統菓子ガトーバスクを中心とした『MAISON D’AHNI メゾン・ダーニ』をオープン。その後、2018年に同じく白金高輪でスペインバスクのサン・セバスティアンで生まれたバスクのチーズケーキ専門店『GAZTA ガスタ』をオープンさせました。バスクスイーツを作るようになったきっかけ。
戸谷シェフは、パリ『LA VIEILLE FRANCE ラ・ビエイユ・フランス』での修行時代から時間があれば、フランス各地に足を延ばしてスイーツを食べ歩いたそう。その中でも感銘を受けたのがフランスバスク・美食の街ビアリッツにある『Miremont ミルモン』のガトーバスクでした。
さっくりしっとりとした生地の中に甘酸っぱい黒さくらんぼのコンフィチュール(パンやデザートに添える果物や砂糖で作る甘い保存食)が入ったガトーバスクに大きな衝撃を受け、忘れられませんでした。「この食感や味わいをいつか『ミルモン』で学びたい。」という戸谷シェフの思いは、日が経つにつれ強くなっていきました。
その思いを修行先のシェフに伝えたところ推薦してもらえることになり、修行完了後ミルモンの門を叩き、念願かなってバスクスイーツを学ぶことになりました。
毎日早朝からフランス人のシェフに混ざって、多くを学ぶ日々を過ごしていた時、「自分が感銘を受けたこのガトーバスクの店を東京で立ち上げたい」と思っていたところ、『ミルモン』のオーナーが背中を押してくれたばかりか、トップパティシエのブリュノ・パイエ氏が全面的に応援すると言ってくれたのです。戸谷シェフは帰国後、二人の気持ちに応え、2015年に『メゾン・ダーニ』をオープンさせました。
伝統菓子ガトーバスクとは?
ガトーバスクのルーツは、捕鯨船用の保存食。今のようにコンフィチュールは入っておらず、薄いクッキーのような形でした。そこから発展して、バスク地方の特産である黒さくらんぼのコンフィチュールを入れたり、黒さくらんぼが使えない時期はカスタードを入れたりしてスイーツとして進化しました。
そのガトーバスクの歴史から、戸谷シェフは『メゾン・ダーニ』のパッケージにクジラの絵を使っているのは、そのルーツを店として大切にしたいと思ってのことだそうです。
また『メゾン・ダーニ』ではオープン当初、ガトーバスクは1種類のみの販売でしたが、バレンタイン限定のショコラがお客様からの要望で定番化したり、長野の小林農園の丁寧に育てられたりんごを使った冬季限定のものを作っています。これは、「その時期の美味しい果物等を取り入れることで、ガトーバスクの魅力をさらに広められるようにしています。」とのこと。産地との繋がりを積極的に持ち、品質のよい特産物を使うことにも取り組んでいるそうです。また、ガトーバスクが一番美味しいのは、焼きあがって余熱の取れた時で、その美味しさを多くのお客様に味わってもらうために、朝食がわりに食べられるよう開店時間を早くしたり、一日に何度も焼くなどの不断の努力がなされています。
『GAZTA ガスタ』の看板商品でもある
バスクチーズケーキとの出会い。
フランスバスク地方の『ミルモン』で働いていた時、スペインバスク地方にあるサン・セバスティアンの『La Viña ラヴィーニャ』というお店のチーズケーキが美味しいという話を聞き、食べに行ったのがバスクチーズケーキとの出会いだったそうです。ベイクドでも、スフレでも、レアでもない、今まで食べたどのチーズケーキにも当てはまらない、新しいものでした。
外はこんがりと焼き上げられベイクドの風味を持ちつつ、中に行くほどにとろけていく感覚。戸谷シェフは「この食感は何だ?!」と思いながら、気づいたら食べ終えていたのだとか。こんなに美味しいチーズケーキが『ラヴィーニャ』にある、いつか自分で作ってみたいという思いが芽生えたそうです。
バスクチーズケーキのお店『ガスタ』をオープンさせるまで。
戸谷シェフはフランスでの修行を終えて帰国した後も、バスクチーズケーキの味が忘れられず『メゾン・ダーニ』のオープン後も試作を繰り返していましたが、「どうしてもあの食感・味わいにならない…。やはりお店で学ばせてもらうしかない!」と、「学ばせて貰えないか」と履歴書を送ったり、何度も手紙、メールもしましたが一切の返事はなし。諦めずに、懇意にしていただいているスペイン人の方からその想いを伝えてもらう試みもしましたが「No」という返事しかもらえませんでした。その後もどうしても思いを捨てきれず、いてもたってもいられず現地に出向き、店のカウンター越しから作りかたをみてよいか訊ねたところ、厨房責任者のミケル氏から「そんなところにいないで中に入ってこい」と厨房に入れてもらうことができたのだとか‥。『ラヴィーニャ』では、世界中からの問い合わせに今でも一律「No」を通しているのに、なぜ戸谷シェフの願いに応じてくれたのかミケル氏に聞いたところ、「丁寧な手紙をくれたよな、履歴書も送ってくれた、一つ一つが丁寧だったんだ」と…。一切の返事がなく、届いていないと思っていたその想いは、しっかりと伝わっていたのです。そして、最後に一言「あとは、人柄かな」と笑って答えたそうです。
さらにこのチーズケーキを日本で販売したいと伝えたところ、「応援するよ」との有難い言葉を貰い、短い滞在期間にも関わらず、今まで門外不出だった製法を特別に継承させてもらうことができました。
実はバスクを代表するチーズケーキということで、「バスクチーズケーキ」と戸谷シェフが名付けたそうです。そこから日本で初めての専門店をオープンさせて、1つの新たなスイーツのムーブメントができました。
バスクチーズケーキを
日本で販売するにあたり工夫した点。
『ラヴィーニャ』は21cmのホールをカットして2ピースで出すスタイルです。日本ではテイクアウト専門の店にしようと考えていたので、1人1個の単位のスイーツにしないと受け入れてもらえません。しかし、21cmのホールサイズの外に焼き色がこんがりついた状態で、中にいくほどにコントラストがついてとろけるような食のバランスを小さなサイズに落としこむのは至難のわざです。当初7cmを目指してありとあらゆる場所でオーブンの試し焼きをしても同じようにはならず、幾度も調整して『ラヴィーニャ』の食感、味わいと寸分違わぬものにするのは8cmだと判断しました。ちなみに1cm大きくする決断まで1年かかったそうです。(話を聞くだけで頭がさがります。)
オープン当初は、8cmと切り分けタイプの15cm(ホール)の2つのサイズのみでしが、新境地としてスタートしたのが白金本店でセット売りしているひとくちサイズの5cmなのだそうです。
バスクチーズケーキの秘密。
オープン当初、バスクチーズケーキのレシピを試行錯誤していたスペイン料理研究家が取材で訪れたことがありました。その時驚いていたのが、チーズケーキを置いていた穴の開いた木のプレートでした。
「実はこの穴が美味しさの秘訣です。」と戸谷シェフ。オーブンから焼きあがった時には、上の部分はソフトボールのように膨れ上がった状態で、それから程よくしぼみ、沈んできたタイミングでプレートの穴の開いた部分に乗せます。その穴を通じて、程よく水分が抜けていき、木製の板の緩やかな熱伝導率により、ゆっくりと中心部に予熱が入っていくことで、本来の食感が生まれるのだそうです。
ガトーバスク、バスクチーズケーキ以外の
有名なバスクスイーツは。
ひとつは、2016年から展開しているマカロンバスクです。皆さんがよく知るパリのマカロン(マカロンパリジャン)とは異なり、フィナンシェのような食感と味わいはオリジナルのものです。マカロンパリジャンが誕生する300年前からバスクで愛されているといわれています。ルイ14世とスペインの王女マリー・テレーズが結婚する時にお抱えのパティシエから献上されたのが最初だと言われており、当時からの製法で作り続けられているバスクの伝統菓子です。
「スペイン産の良質なアーモンドパウダーを使った風味としっとりとした食感は、パリのマカロンとは違うバスクならではのシンプルで素朴な良さがあります。バスクの伝統的お菓子を日本のお客様に味わって頂きたいという思いは、マカロンも一緒です。」と戸谷シェフ。
取材協力:株式会社メゾンビー